結局撮らずに終りを迎えてしまいそうなので
妙見急行・日生急行とは関係無い写真を投げておきます。
5146 in 阪神尼崎、2015年のえち鉄の雪辱こそ果たせませんでしたがそれなりの収穫。
改めて見ると改装工事が完全に終わっていない状態でよく展示したなと。
ところで結局阪急は図面測定代を阪神車両メンテナンスに払ったんでしょうかね?
乗り鉄降り鉄兼駅名標鉄がお送りする忘備録ブログ、基本日曜に更新。
一応はTwitterの補完という位置付け。
1に阪神2に山陽、3時のおやつは文明堂。
2015年12月31日追記
新たに記事を書き、追加で数枚写真を投げておきました。
http://youkanhayoukandetabenasai.blog.jp/archives/1048774032.html
2016年9月6日追記
Wikipediaに当記事が5112号車の廃車月が2014年2月であるソースとして貼られていますが、
2月7日はあくまで廃車陸送実施日であり、書類上の正確な廃車日時は2014年1月25日です。
阪急5100系といえば最近は能勢電譲渡やら阪神線走行やら何かと話題の多い形式ですが、
1年前に廃車陸送が実施された車両の存在が忘れ去られて行っている気がするので記事にしておきます。
5100系5112号車、元は5112×4Rとして宝塚本線で走っていましたが、
5000系リニューアルによる車両供出・組み換えで2006年3月から休車になっていました。
5103号車・5119号車と共に朽ちて行くのみかと思われていた2007年9月、突如として顔面が改造されたのです。
真相は7300系7320F大規模リニューアルを前にモックアップとしての試作改造という物。
最初はスカートも履いていたそうですが日が経つにつれてスカート撤去・方向幕撤去・貫通扉撤去と、
最終的に廃車時には見窄らしい姿に成り果てていたわけです。
廃車陸送実施日は2014年2月7日、普段の廃車陸送では考えられない程の人が集っていたのを覚えています。
以下は写真群。
形式写真は多数出回っているので他の方が撮られていなかった細かい写真を何枚か。
乗務員室内部、使える機器は殆どもぎ取られています。
同じく乗務員室内運転席側上部、本当にすっからかんです。
中間封じ込めの前面非表示幕車だったので標識灯部のレンズ差しが残存していますね。
ドア広告は剥がされていませんでした、漢検の広告に「平成18年」の文字。
モックアップとなった事を照明する「7320」の痕跡。
赤信号に照らされるスプレーで書かれた応急車番。
浜側の側面は塗装試験に使用されたのでしょう、ココア色になったドア部と比べて艶がありました。
当然ですが幕は抜かれています。吊り革が一部だけ残っているのは何故なんでしょうか?
昼間だとより一層塗装試験に供された部分が目立ちます。
前面ステップの裏側、見た感じネジ止めされただけのすぐに取れそうな構造でした。
流石に7000系・7300系の更新車はマトモな物が付いているのでご安心を。
抵抗器はそのまま。
顔面全体像、とても痛々しい事になっています。
1000系にまで引き継がれた顔面の創始者が舞台裏から消えて丸一年、
5136F・5138Fばかりで無くたまには5112号車の事も思い出してやってください。
なお次回更新は能勢電ネタですのでお楽しみに。
昨日用事でブログを更新できなかったので1日遅れで。
去る5月27日に今北線を走るC#3076×6R(以下3076Fと表記)が休車となりました。
まさか1000Fが故障復帰したこのタイミングで休車になるとは思ってもみず、甲子園球場で試合観戦中に休車化を知った次第です。
3076Fは今北線の車両でも一際変わり者だった編成で、これが来ると非常に嬉しいものでした。
今回休車になったのは3076Fですが、ちょいと前に宝塚本線の3064Fも休車になっています。
1000系の導入によって5100系の先行きも危ぶまれる中、マルーン一色車同士の並びというのはこれからどんどん貴重なものになって行くでしょう。
今更焦ってもしょうがありません、最後の営業運転と廃車回送、廃車陸送を静かに見守ろうと思います。