迂鈍逃避行

乗り鉄降り鉄兼駅名標鉄がお送りする忘備録ブログ、基本日曜に更新。
一応はTwitterの補完という位置付け。
1に阪神2に山陽、3時のおやつは文明堂。

カテゴリ: 雑記

文章を考えるのが面倒なので例によって箇条書き。
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6月25日(日中試運転初日)
日中試運転で石屋川車庫に入ったのはこの日のみ。
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7月7日(日中試運転2日目、乗務員訓練初日)
円形を基調としたデザインが斬新で格好良いですね。
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7月12日(日中試運転5日目、乗務員訓練4日目)
試運転は今日以降も暫く続きますが、暑すぎて撮影に行く気力が無くなったので12日が最後の撮影になりそうです。
ちなみにスジを見間違えていなければ22600系と5700系の甲子園並びがブログトップ画像になる予定でした。

祝、高架化。
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何故今更先月の出来事を今更ブログに上げているのか分かりませんが、先月20日に西新町駅が高架化しました。
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前の駅と比べて年号が2つくらい変わったんじゃないかという位の綺麗さ。
発車標が設置され、接近放送も準詳細形を採用しています。
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ホーム西端では編成写真がわりと綺麗に撮れそうですが、自分は串カツが食べたい気分だったのでパンタが串りました、ありがとうございます。
この後13時から記念式典があるという事で昼飯だけ済ませて再度西新町駅へ。
記念列車として西新町行き普通列車(第R6201列車、客扱い無し)とかいう意味不明な物を運転、
これを撮るためにホームにはたくさんの撮影者が。
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折り返し明石行き普通列車(第R6202列車)では記念式典と客扱いも実施、僅か1駅だけの運転でしたが鉄道ファン以外にも地元の方が意外と乗っていて驚き。
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なお最初の画像で分かる通り記念式典は1号車停車位置にて実施されたため、1号車クモハ5002への乗車は制限されていました。
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さて、記事名は「山陽電気鉄道西新町駅高架化」などと謳っている物の本題はここから。
R6202列車が明石駅到着後折り返しR6203列車(回送東二見行き)として停車中、突如として幕が「普通|西新町」に変わりました。
何が起こっているのかと人だかりが出来ていた編成梅田方へ言ってみたところ

車掌氏「言うてやー、なんでも出すでー」

ん?今なんでも出すって言ったよね?
いざ、明石駅幕回し大会開催!
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最初に出たのは「急行|姫路」、山陽電車に急行亡き今となっては5000系が急行幕を出しているのは貴重なシーンと言えるでしょう。
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お次、「S特急|甲子園」・・・はい???
S特急とは山陽電車で急行に値する列車種別な訳ですが、もちろん三宮以東には入りません。
「丹波路快速|関西空港」や「快速アクティー|大月」並に意味の分からない組み合わせと思って頂ければ。
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続いて「急行|阪神元町」
なんでしょう、不思議と実在してもおかしくないような組み合わせは・・・
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「急行|阪神大石」
これまた渋い行先、急行幕が人気ですねえ。
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「特急|阪神大石」えらく上がスカってますがなんでだ。
これはかつて実在した行先です、5002Fなら充当経験がありそう。
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「B直特|尼崎」、これのAバージョンは人身事故発生時に出た事があったような気がします。
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締め、「急行|尼崎」・・・なんでやねん!
路線が西宮辺りで分断されない限り出そうにない行先、これが出てすぐに「回送」幕に戻り東二見へと帰って行きました。
盛大なファンサービスをして下さった車掌氏、ありがとうございました。



ところで、最近5700系の試運転列車が運転されているみたいですね?
写真を撮ったのは良いですが記事を書くのが面倒でなんともなりません、今しばらくお待ちください。

2015年12月31日追記
新たに記事を書き、追加で数枚写真を投げておきました。
http://youkanhayoukandetabenasai.blog.jp/archives/1048774032.html

2016年9月6日追記
Wikipediaに当記事が5112号車の廃車月が2014年2月であるソースとして貼られていますが、
2月7日はあくまで廃車陸送実施日であり、書類上の正確な廃車日時は2014年1月25日です。

阪急5100系といえば最近は能勢電譲渡やら阪神線走行やら何かと話題の多い形式ですが、
1年前に廃車陸送が実施された車両の存在が忘れ去られて行っている気がするので記事にしておきます。
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5100系5112号車、元は5112×4Rとして宝塚本線で走っていましたが、
5000系リニューアルによる車両供出・組み換えで2006年3月から休車になっていました。
5103号車・5119号車と共に朽ちて行くのみかと思われていた2007年9月、突如として顔面が改造されたのです。
真相は7300系7320F大規模リニューアルを前にモックアップとしての試作改造という物。
最初はスカートも履いていたそうですが日が経つにつれてスカート撤去・方向幕撤去・貫通扉撤去と、
最終的に廃車時には見窄らしい姿に成り果てていたわけです。
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廃車陸送実施日は2014年2月7日、普段の廃車陸送では考えられない程の人が集っていたのを覚えています。
以下は写真群。
形式写真は多数出回っているので他の方が撮られていなかった細かい写真を何枚か。
 
乗務員室内部、使える機器は殆どもぎ取られています。
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同じく乗務員室内運転席側上部、本当にすっからかんです。
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中間封じ込めの前面非表示幕車だったので標識灯部のレンズ差しが残存していますね。
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ドア広告は剥がされていませんでした、漢検の広告に「平成18年」の文字。
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モックアップとなった事を照明する「7320」の痕跡。
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赤信号に照らされるスプレーで書かれた応急車番。
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浜側の側面は塗装試験に使用されたのでしょう、ココア色になったドア部と比べて艶がありました。
当然ですが幕は抜かれています。吊り革が一部だけ残っているのは何故なんでしょうか?
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昼間だとより一層塗装試験に供された部分が目立ちます。
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前面ステップの裏側、見た感じネジ止めされただけのすぐに取れそうな構造でした。
流石に7000系・7300系の更新車はマトモな物が付いているのでご安心を。
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抵抗器はそのまま。
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顔面全体像、とても痛々しい事になっています。
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1000系にまで引き継がれた顔面の創始者が舞台裏から消えて丸一年、
5136F・5138Fばかりで無くたまには5112号車の事も思い出してやってください。
なお次回更新は能勢電ネタですのでお楽しみに。

新年明けましておめでとうございます、本年度も当ブログを宜しくお願い致します。
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写真は東垂水駅での初日の出未遂、雲に遮られて撃沈しました。

ご存じの方が多いでしょうが、8249Fが尼崎工場に入場しました。現在は丘の上に分割留置されています。
最後の営業運転は2日の1206S列車、所定通り13:17梅田到着後尼崎に折り返して入庫、翌日入場した模様です。
3日朝8時の時点では入場線に6連のまま留置されていましたが、9501Fの9501ユニットが丘の上からピット内に移動した直後に8249Fは分割されました。
5日17時現在8249Fの8249ユニットのみが丘の上で留置されています。
丘の上にいて目視確認できたその他のメンツは1205F1255ユニット・5013Fでした。
あと2日後の入場であれば8249Fのルミナリエ副票が見れたと思うと残念でなりませんが、一方で更新されてピカピカの8249Fを見るのが楽しみでもあります。

なお8249Fの入場によって残る赤胴車は6本のみとなりました。
本線赤胴に現を抜かす暇があれば武庫川赤胴を撮れと自分に言い聞かせているのですが、如何せん冬の武庫川線沿線というのは風が強く非常に寒いわけで自然に足も遠のくのです。
とはいえ嵐の前の静けさが続く今のうちに武庫川線に行かねば2000系全廃時のように後悔するのは目に見えています。
風の弱い日にでも缶コーヒーで温まりながら武庫川線をのんびり撮りに行きますかね・・・

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ブログの存在を忘れて放置してました。
ネタが無いので久々の更新は3100系ネタを強引に、
まともな編成解説は他のサイトへどうぞ。
 
阪急3100系は一言でいえば3000系の宝塚線仕様車です。
2014年で製造開始からめでたく50年を迎えた東海道新幹線と同期のこの車両、
宝塚線向けに製造されたにも関わらず今は神戸線系統の支線にしか残っていません。
今津北線に3152F・3154Fが残り、伊丹線にトップナンバーである3150Fが残っています。
3156F?3170F?そんなものは知りませんねぇ。
そいうえばつい先日天に召されたばかりの3076Fにも3151号車が組み込まれていました。
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この車両を語るには3077Fやら冷房の事やらを出してこないといけないのでここでは省略。
とりあえずは今も今津北線に残る2編成について語ろうかと。
 
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まず3152Fから。
とにかく影が薄い編成です、3078Fと同じくらい影が薄い。
これといった特徴も無いですしこいつが来ても「あっ3152Fか」程度の反応しかできません。
2014年10月現在の今津北線でも古参の域に入っているはず、
というか3050F亡き(死んでませんが)今や今津北線最古参だったはずです、にも関わらず影が薄い。
今津北線自体影が薄い路線だと言われればそれまでですが・・・
そのうち3076Fの時のように一気に葬式が湧く事になるでしょう、記録はお早めに。
 
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お次3154F、見ての通り車内が懐かしい事になっています。
先頭車の3154号車は床材が旧タイプ、貫通路も旧タイプ。個人的に今の今津北線で一番好きな編成です。
貫通路はなんと6両編成中全6両が旧型です、よく1両たりとも換装されずに残りましたね。
残存する3100系3編成中で車内が一番原型を留めているのではないでしょうか。
(但し中間封じ込め先頭車の助手席後部窓ガラスは撤去されています。)
(これに関しては3152Fの物は原型なので評価が別れるポイントとなっている気がします。)
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つい先日も宝塚記念HMの掲出で話題になっていましたね。
他にも編成写真を見て頂ければ分かるように、本来4つあるべきパンタが3つしかありません。
1994年の阪神淡路大震災直後に部品供出ともぎ取られてから20年間ずっとこのままです。
震災の傷跡を車体に残す数少ない編成もあとどれだけの間持つのか、
次に鉄ヲタ共に追い掛け回されるのはいつになるのか。目が離せません。
 
今回は柄にもなくマトモな記事になってしまいましたが、
1000系が増殖中の今となっては3000系・3100系の余命が短いという事は周知の事実でしょう。
阪急線内に最後まで残る3100系はどの編成になるのか、出来れば3154Fとなって欲しいのですが・・・
まあ最後まで残るのは間違いなく能勢電譲渡車の3170Fでしょうけども。
 
おまけ
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宝塚記念HMの3154Fと今は亡き3076Fの並び、携帯電話電源オフ車両ステッカー残存並び。

一ヶ月半ぶりの更新ですね、お久しぶりです。
7月26日から8月26日まで延々と旅を続けてました、総移動距離は地球半周程度でした。
その間に3076Fが落ちたり8247Fが出てきたり、福知山線で土砂崩れが発生して石生行きが誕生したり色々あったみたいで。
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一応3076Fの最終営業と廃車回送は見送ろうと思って宝塚まで帰ってきていたのですが、よりによって寝坊する始末。

とりあえずブログの方は今週から通常通り更新していこうと思います。

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青春18きっぷシーズンが始まると本格的に真夏という感じですね、旅の季節です。
とりあえず今週末から短くて半月長くて一ヶ月どっか行ってくるので暫く更新できませんご了承ください。
( ’ω’).。oO(まあこんなブログ見て下さってる物好きな方もそうそういらっしゃらないと思いますけど)

最近多忙なため、ブログの更新を基本的に日曜日か土曜日の週一更新とします。
(速報等は平日に更新する可能性も、まあ見てる人は殆ど居ないでしょうがww)
 
無理に毎日更新しようとしても内容の薄い物になりがちですので、
週一更新で内容を濃くした方が良いかなあと。
ちょうど駅名標ネタも飽きてきていましたしね。

よっぽどの事が無い限りブログの更新を止めるというのは無いと思うので、
更新頻度こそ落ちますがこれからもブログ「迂鈍逃避行」よろしくお願いします!
  
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山陽電車の伊保駅運賃表に「西宮東口」の表記が覆い隠されながらも残存していました。
 
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「香櫨園」の下にも「香枦園」の表記が残っているのでしょうか…

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