ブログの存在を忘れて放置してました。
ネタが無いので久々の更新は3100系ネタを強引に、
まともな編成解説は他のサイトへどうぞ。
阪急3100系は一言でいえば3000系の宝塚線仕様車です。
2014年で製造開始からめでたく50年を迎えた東海道新幹線と同期のこの車両、
宝塚線向けに製造されたにも関わらず今は神戸線系統の支線にしか残っていません。
今津北線に3152F・3154Fが残り、伊丹線にトップナンバーである3150Fが残っています。
3156F?3170F?そんなものは知りませんねぇ。
そいうえばつい先日天に召されたばかりの3076Fにも3151号車が組み込まれていました。
この車両を語るには3077Fやら冷房の事やらを出してこないといけないのでここでは省略。
とりあえずは今も今津北線に残る2編成について語ろうかと。
まず3152Fから。
とにかく影が薄い編成です、3078Fと同じくらい影が薄い。
これといった特徴も無いですしこいつが来ても「あっ3152Fか」程度の反応しかできません。
2014年10月現在の今津北線でも古参の域に入っているはず、
というか3050F亡き(死んでませんが)今や今津北線最古参だったはずです、にも関わらず影が薄い。
今津北線自体影が薄い路線だと言われればそれまでですが・・・
そのうち3076Fの時のように一気に葬式が湧く事になるでしょう、記録はお早めに。
お次3154F、見ての通り車内が懐かしい事になっています。
先頭車の3154号車は床材が旧タイプ、貫通路も旧タイプ。個人的に今の今津北線で一番好きな編成です。
貫通路はなんと6両編成中全6両が旧型です、よく1両たりとも換装されずに残りましたね。
残存する3100系3編成中で車内が一番原型を留めているのではないでしょうか。
(但し中間封じ込め先頭車の助手席後部窓ガラスは撤去されています。)
(これに関しては3152Fの物は原型なので評価が別れるポイントとなっている気がします。)
つい先日も宝塚記念HMの掲出で話題になっていましたね。
他にも編成写真を見て頂ければ分かるように、本来4つあるべきパンタが3つしかありません。
1994年の阪神淡路大震災直後に部品供出ともぎ取られてから20年間ずっとこのままです。
震災の傷跡を車体に残す数少ない編成もあとどれだけの間持つのか、
次に鉄ヲタ共に追い掛け回されるのはいつになるのか。目が離せません。
今回は柄にもなくマトモな記事になってしまいましたが、
1000系が増殖中の今となっては3000系・3100系の余命が短いという事は周知の事実でしょう。
阪急線内に最後まで残る3100系はどの編成になるのか、出来れば3154Fとなって欲しいのですが・・・
まあ最後まで残るのは間違いなく能勢電譲渡車の3170Fでしょうけども。
おまけ
宝塚記念HMの3154Fと今は亡き3076Fの並び、携帯電話電源オフ車両ステッカー残存並び。